しょうゆ造りに最適な小豆島

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瀬戸内海に浮かぶ小豆島

香川県高松市の沖合約20km に位置する小豆島は、瀬戸内海で2番目に大きな島です。美しい海と明るい太陽に恵まれ、地中海にも似た温暖な気候と豊かな自然からオリーブの島として広く知られていますが、今ではしょうゆの街とも呼ばれています。数々の名産品のほか、魅力的な観光名所もあり、毎年多くの観光客が訪れます。

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良質な塩の産地

古くから本州と四国、九州を結ぶ海上交通の要衝として栄え、たくさんの人やモノが小豆島を行き来して、産業が発展してきました。江戸時代に特に盛んだった讃岐の3つの産業、砂糖、塩、綿を総称した言葉に「讃岐三白」があります。小豆島はこのうちの塩と、さらに小麦に恵まれ、特に海に囲まれた環境のもと良質な塩の産地として名を馳せました。

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今に受け継がれる島の食文化

小豆島特有の風土、人々の努力と長い時間の積み重ねにより、地元にふさわしい産業と名産品が生まれて根づいていきました。

そうめん
江戸時代初期から約400年以上そうめんがつくられています。小豆島の手延べそうめんは延ばすときにごま油を用いる製法が特徴的で、他の地域のものとはひと味違います。

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オリーブ
1908年、鹿児島・三重・香川の三県でオリーブを植えた結果、小豆島だけが栽培に成功。以来、日本のオリーブ発祥の地として有名になりました。

ごま油
小豆島のそうめんづくりには欠かせないごま油。全国トップの生産量を誇ります。

佃煮
しょうゆ造りの発展と同時に、瀬戸内の海の幸を材料とした佃煮は小豆島の名産品として広まりました。

マルキンヒストリー

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小豆島しょうゆ400年の歴史

文禄年間(1592~1595年)、大坂城築城のために小豆島へ採石に訪れた大名たちが、調味料として紀州・湯浅で造られた醤(ひしお)を持参したことから、湯浅に学び、しょうゆ造りが始まりました。 小豆島では古来より塩づくりが盛んであったことに加え、海上交通の要衝として大豆や小麦が集まったことなどの理由からしょうゆ造りが発展していきました。小豆島は日本四大産地のひとつとされ、今も昔ながらの製法を受け継いでいます。

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丸金醤油の誕生

明治初期、小豆島のしょうゆ造りは最盛期を迎えます。当時島内には約400ものしょうゆ蔵があったといわれ、小豆島産のしょうゆは瀬戸内海の海運を利用して、京阪神を中心に四国や九州まで移出されました。その後、しょうゆ産業はますます盛んになり、1907年には島の有力醸造家によって丸金醤油株式会社が設立されました。設立当初から変わらない、金の文字を丸で囲んだ商標は、地元香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)、通称こんぴらさんの紋章からいただいたものです。

沿革

1907年(明治40年)1月22日 創業者木下忠次郎、現在の小豆島工場にて創業。商号を丸金醤油株式会社とする
1907年 しょうゆの醸造を開始
1908年 関西地方(京都、大阪、兵庫)で新商品を発売。商標を現在も受け継ぐマルキン印とする
1909年 ハワイへ進出
1910年 日英博覧会では「金賞」(金牌キンパイ)受賞
1915年 パナマ・太平洋万国博覧会「名誉賞牌」受賞
1922年 天皇陛下、現在の小豆島工場に行啓になる
1930年 東京進出
1934年 海外(中国、北米、欧州)進出
1940年 朝鮮マルキン醤油株式会社設立(のちに閉鎖)
1948年 旧大阪証券取引所へ上場
1950年 東京、大阪、名古屋、札幌、高松、広島、福岡等に出張所開設
1950年 天皇陛下、現在の小豆島工場に行啓になる
1987年 大正初期に建てられた工場のひとつを記念館として改装開館
1988年 マルキン大阪ビルを設置
1996年 マルキン天然醸造蔵 国の登録有形文化財に登録
2000年 忠勇株式会社と合併しマルキン忠勇に商号変更
2013年 盛田株式会社に吸収合併
2017年 マルキンブランドの価値向上目的としてマルキン醤油株式会社を復活設立